喫茶葦島の理由

〜『日本の良い珈琲を京都から』〜

なぜ「喫茶葦島」をここ京都に創ったのか、その理由を具体的に書きます。

まず、京都を選んだのは私にとってゆかりのあるかけがえのない土地であるからで、これはもう必然の理と言えるでしょう。

店名の由来は古代の日本を表す美称から連想し命名しました。すなわち葦島=日本という意味です。

ではなぜ、わざわざ「日本」を言い換えた屋号を決めたかについてです。

その理由は特定の主義、思想や信条、宗教等とは無関係です。いわゆる愛国心からきたものでもありません。もちろん一人の日本人として愛国心はそれなりに持ってはいますが、公に主張するほど強いものではありません。

私のこの想いを端的に表現するとして、比較的近しいものとしては「クール・ジャパン」という言葉が挙げられるかと思います。

つまり、 日本並びに日本人の本来持っている「良さ」を見直し、具現化し、表現していきたいということであります。

かと言って、日本が他国に比べて優っているというような、いわゆる日本優位論のようなものではありません。自国の文化を相対的な価値判断の中に置くようなものとは考えていないからです。

もっと単純な話でして、例えば、長い歴史があって、四季があって、美しい国土、山野、風景があって、遺されている建築、美術品、工芸品は美しくて、食べ物は美味で、環境は清潔で、人々は勤勉で、穏健で、などなど、その良さを挙げだしたらキリがない。そんなふるさと日本が愛おしくてしょうがない、という人は私だけではないはず。

もちろん良くないところも沢山ありますが。まあそれはさておきです。

たとえば、こういう感性ってどう思われるでしょうか?

シドニー五輪の時、柔道100キロ超級での誤審事件があったことは記憶に新しいと思います。あの時の当事者である篠原選手の「自分が弱いから負けた」とそれ以上言明せず引き下がった態度については潔いと思った人が大多数だったと思います。

しかし、逆に「抗議すべきだ、言いたいことは言わなければ損だ。」という考えもあると思います。

でも多くの日本人は「篠原は男だ」と感じたでしょうし、私自身もそう思いました。

そういう感性は日本人的であると思うし、私は誇るとまでは言いませんが、日本の良さの1つだと思います。

このエピソードだけに限らない、この国にはたくさんの良いところがあり、それを知るたびに、「ああ、こんなに良いところの多い自分の国をもっと知らねばいけないし、日々の生活においても意識していかなければいけないな」と思いました。

つまり、先に挙げた我が国の良さを日々の仕事において体現したい、そして遺して行きたい。できれば日本以外の国々にも知ってもらいたい。そういう単純な気持ちです。

その気持ちを「珈琲」及び「デザイン」という私自身の好きなもので表現したいと考えました。

珈琲を原料から仕入れ、焙煎し、自らドリップして提供する。その一貫した流れを出来る限り丁寧に、オープンな状況で、責任をもってやり通す。

表からは見えないところでも丁寧に仕事をする。

当たり前のことを当たり前にきちんとする。

全ての仕事に心を込める。

そうやって一所懸命につくった珈琲が、果たしてお客様に美味しいと感じて頂けているのか?

また、心地よいデザインとは何か?心地よいインテリアとはどういうものか?くつろぎの空間とは?

考えだしたらきりがありませんし、答えはいまだ見つかりません。

未完成のまま、日々が過ぎていきます。

ただ、そんな日々を支えてくれるのが、喫茶葦島が喫茶葦島である理由なんだと思います。

店主

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