自由という概念をどう捉えるか。
何も際限なきところに自由は無いと思うが如何か。
かと言って、一つに定まることだけが自由なのかと言えばそうでもないと思う。
例えば、言論の自由。
確かに何を語ろうと、自由は保障されよう。
しかし、そこには責任が伴うことを忘れないでおこう。
語るにはそれなりの努力、蓄積、覚悟が必要だと言えば大袈裟か。
しかし、だからと言って、何も語らないことに定まるのが良いとも思わない。
もっとも、語る事、そこには節度、礼儀、突き詰めれば思いやりが必要であることも確かであると思う。
なぜなら、自分勝手な言動は、支持を得られないだろうし、ともすれば滑稽にしか見えないことがある。
そう考えると、言論というものの存在に畏怖を感じざるを得ない
言論は、言霊の化身。
言葉を選ぶには、それ相応の努力が必要だと、自戒を込めて語ろうと思う。
そこから、本当の自由が得られる契機をつかめることになるのかもしれない。
自由には努力が必要だと思う。
自分は、まだまだ、です。
店主