武道についてつれづれと

 

武道を幼少から続けてきた。

 

途中でスポーツの世界に鞍替えした時期もあったりしたが、結局大人になってからは武道の世界に戻り、今も稽古を続けている。

 

武道にスポーツ以上の魅力を感じているのは確かである。

 

武道もスポーツの一部であるという考え方もあるが、私個人としては全く違うものだと思っている。

 

ただ、ここで言いたいのは、両者の定義がどう違うのかとか、どちらが優れているとか、そのような話ではない。

 

自分の感性により近いものを武道の世界に見出しているだけに過ぎない。

 

例えば、私がかつて所属していた武道団体の試合では、勝負に勝ったとしてもガッツポーズを決してしてはいけなかった。

 

スポーツの試合で勝ってガッツポーズを極めるのはごく自然のことだが、武道の試合では好ましくない行為の一つだった。

 

私は、武道のもっているそのような価値観がたまらなく好きなのである。

 

とはいっても、野球やサッカーといったスポーツの試合を観戦するのは大好きであるし、ホームランやゴールを決めた選手がガッツポーズをする姿を見るのも醍醐味だと思う。そういう時は私も同じようにガッツポーズをする。

 

しかし、こと武道の世界においては、そのように華やいだ、いい意味での賑やかしさはそぐわないと思われるのだ。

 

これは、そもそも武道の本質が人間の「死」と密接不可分な関係にあるからだと思う。つまり、修行を積んだ末に雌雄を決するその「場」は、常に死と隣り合わせの戦場(いくさば)であり、そこにおいてふさわしき空気は、荘厳かつ静謐で、侵しがたいものであるべきだと考えている。

 

そう考えると、ガッツポーズについても、スポーツの世界ではごく自然なことが、武道においてはふさわしくないとされてもわかるような気がする。

 

そして、その価値観を伝統として守り続けていくことの尊さに気づいた時から、武道が道であることの本質に近づけるのではないかと思っている。

 

そこまで近づくには、まだまだ修行が足りません。

 

店主

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珈琲と空間

 

私の場合、珈琲を楽しめる空間とは特別なものであると常々考えています。

 

美味しくローストされた漆黒飴色の豆を飲む分量だけミルで挽き、適温に調整された美味なるお湯で、ハンドドリップによって丁寧に淹れられたこの嗜好品を、どのような空間で楽しむのか、我が人生においてはもっとも重大な問題です。

 

そこは、できれば空気が清浄で、できれば雰囲気は静謐で、出来る限りしつらえは心のこもった温かみのある自然な素材で構成されたものであって欲しい。

 

例えば、手に触れるカウンター、ソファーの肘掛け、カップ、スプーンにいたるまで、それらの手触りは、質感の心地よい穏やかなものであって欲しい。

 

椅子は長時間座っても、座っていることを忘れるほどのものであって欲しい。

 

目に触れる光は柔らかく、存在感を感じられない照明ならいい。

 

後ろに流れる音楽は、出過ぎていない、洗練されたものならいい。

 

働く人々は、静かなる職人であって欲しいし、サービスの人であって欲しい。

 

そんな空間で、一日のうちわずかな時間、その刹那を楽しむことができれば、その後に続いていく時間を豊かに創り出していけると、そう信じています。

 

休日にて。

 

店主