教科書を疑え

「教科書を疑え」

この言葉は私が敬愛する恩師(故人)の言葉です。

その意味するところは色々とあります。

権威や、先入観、根拠の乏しい慣例など、真実ではないものに判断を狂わされることはあると思います。

学生時代はもちろん、社会人となってからも、仕事上の判断で迷った時、しばしばこの言葉に助けられたことがあります。

根拠が定かでないのに常識のように思われていること。

珈琲の世界にも、そのようなものはあります。

開業前に多くの「自家焙煎珈琲の教科書」といわれるものを読みました。

焙煎の方法、豆の保存方法、抽出の方法、などをそれぞれの著者なりの解釈で書かれたものですが、確かに参考にはなりました。

しかし、今となっては、まずは自分の手で確かめる、自分の目で、舌で判断していくことの大切さを実感しています。

時には基本すらも疑うこと。これが重要なのではないかと思います。

迷った時には基本に立ち返る、そして一旦はその基本すら考え直す。

なかなか難しいですけど。

店主

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吾輩は豆である

吾輩は豆である。名はまだない。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。

主人は喫茶葦島という。それが人の名なのか、なんなのかは定かではない。とりあえず、皆が「葦島さんとこの〜」と吾輩をさして言うものだからおそらくはそうなのだろうと思っているに過ぎない。

人間に人種があるように、我々豆にも一応そのような区別があるらしいが、そもそもそれは人間が勝手に区別しているだけの話で、吾々豆にとってはどうでも良いことだと思っている。

されども名無しの権兵衛ではいささか都合が悪い故、本意ではないが人間たちが勝手に付けた「珈琲豆」という名称を便宜上使わせてもらうことにする。

我々珈琲豆は生の状態では何の香りも味もせぬが、火で炙られることで人間の嗜好物になる。嗜好のものゆえ、人間の一般生活において必需なるものではないのだが、どういうわけか人間たちの中には珈琲を毎日飲まなければ気の済まない者が多くいるようだ。

うちの主人もその一人である。主人はその嗜好が高じてとうとう珈琲屋を開くまでになったが、なんでも無類の焙煎好きだそうだ。主人のように吾々豆を生で仕入れて焼いては珈琲にする者を自家焙煎家と呼ぶらしい。

 

主人の一日は焙煎から始まる。

豆1

まずは生豆を一粒一粒チェックするそうである。

豆2

容姿美麗でない豆は除かれてしまう。この点において主人の無慈悲さは徹底している。

豆4

選ばれし美麗なる者だけが計量へ進むことができる。厳しい世界である。

豆3

これは主人の相棒だそうだ。少量焙煎のメリットだけを考えて選んだという。

豆6

吾々を焼く際の温度と湿度にはこだわりがあるようだが吾輩には全くわからぬ。

豆5

焼き上がった珈琲豆は綺麗なトレイでクールダウン。

豆7

焼き具合の美麗さで更に選り分けられる。なにもそこまでしなくてもと思うがそのような吾輩の進言に聞く耳をもつような主人ではない。

豆9

「美しくないものは悪である」といつだったか豆に一人ごちの主人。豆に人格などないと思うのだが。。。。

豆8

そんなこんなで、最後まで生き残ったものだけが丁寧に梱包される運命。

豆11

発送されるその時を静かに待つ珈琲豆たち。

吾輩もいつか選ばれしものになれるのか、はたまた。。。。

主人は今日も明日も明後日も豆を焼き続ける。

ご苦労様。

珈琲豆

珈琲と空間

 

私の場合、珈琲を楽しめる空間とは特別なものであると常々考えています。

 

美味しくローストされた漆黒飴色の豆を飲む分量だけミルで挽き、適温に調整された美味なるお湯で、ハンドドリップによって丁寧に淹れられたこの嗜好品を、どのような空間で楽しむのか、我が人生においてはもっとも重大な問題です。

 

そこは、できれば空気が清浄で、できれば雰囲気は静謐で、出来る限りしつらえは心のこもった温かみのある自然な素材で構成されたものであって欲しい。

 

例えば、手に触れるカウンター、ソファーの肘掛け、カップ、スプーンにいたるまで、それらの手触りは、質感の心地よい穏やかなものであって欲しい。

 

椅子は長時間座っても、座っていることを忘れるほどのものであって欲しい。

 

目に触れる光は柔らかく、存在感を感じられない照明ならいい。

 

後ろに流れる音楽は、出過ぎていない、洗練されたものならいい。

 

働く人々は、静かなる職人であって欲しいし、サービスの人であって欲しい。

 

そんな空間で、一日のうちわずかな時間、その刹那を楽しむことができれば、その後に続いていく時間を豊かに創り出していけると、そう信じています。

 

休日にて。

 

店主

葦島珈琲ゼリー

 

 

試行錯誤の末ようやく完成しました。

 

 

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深煎り豆を中心にゼリー用にブレンドしました。

 

まずは、ブラックで2口ほど。

珈琲の香りと苦み、そしてプルンとした食感を楽しんで頂きたいと思います。

 

次にノンホモ牛乳由来の生クリームをたっぷりとかけてみて下さい。

味が変化します。

 

お好みで、自家製の無添加シロップを加えると、更に新しい印象です。

 

どうか、ゆっくり、じっくり、楽しんで頂きたいと思います。

 

店主

日本らしき珈琲を

 

先日のこと、海外旅行から帰ってきたスタッフに土産話を聞かせてもらったのですが、改めて日本の素晴らしさを実感したという感想を熱心に話してくれまして、いろいろと思うところがあり、この記事を書きます。

 

それはホテルなどを含む公衆トイレの便利さ・清潔さをなど例にあげて、いかに日本の環境が整っているか、普段我々が当たり前に享受していることが、実は海外ではほとんど見られないといったような内容でした。

 

話はそれだけで終わらなくて、例えばトルコでは小学校くらいの教科書に、過去に日本人から受けた恩を題材にした教訓話があるそうで、そこでは日本人というのは、自分たちがたとえ酷い仕打ちを他国から受けても、いざ他国の人間が困ったときは、身を挺して助けてくれる、そういう気高い国民性だ、というような、こちらが面映くなるようなお話があったりするそうです。

 

事実、トルコは親日で有名ですし、その話を知って日本語の勉強をはじめる方も多いそうです。

 

また、いつもいろいろなお話を聞かせて下さる私にとっては師範のような方から、先日の毎日新聞に次のような記事が掲載されていたことを教えて頂きました。

 

【10 things to learn from Japan】

①The Calm(平静)
悲痛に胸を打つ姿や、悲嘆に取り乱す姿など、見当たらない。
悲しみそのものが気高い。
②The Dignity(威厳)
水や食料を得るためにあるのは、秩序正しい行列のみ。
乱暴な言葉や、無作法な動作など、ひとつとてない。
③The Ability(能力)
例えば、驚くべき建築家たち。ビルは揺れたが、崩れなかった。
④The Grace(品格)
人々は、皆が何かを買えるようにと、自分に必要な物だけを
買った。

⑤The Order(秩序)
店舗では、略奪が起らない。路上では、追い越し車も
警笛を鳴らす車もない。思慮分別のみがある。

 

⑥The Sacrifice(犠牲)

50人の作業員が、原子炉に海水をかけるためにとどまった。
彼らに報いることなどできようか?

 

⑦The Tenderness(優しさ)
レストランは、値を下げる。無警備のATMは、そのまま。
強者は弱者を介助する。

 

⑧The Training(訓練)
老人も子供も、全ての人が、何をすべきかを知っていた。
そして、すべきことをした。

 

⑨The Media(報道)
崇高な節度を保つ速報。愚かな記者やキャスターなどいない。
平静なルポのみがある。

 

⑩The Conscience(良心)

停電になった時、レジに並んでいた人々は、品物を棚に戻して静かに店を出た。

 

真のインスピレーションを感じる。日いずる国で起っていることに。

(2月10日付 毎日新聞 時代の風より西水美恵子元世界銀行副総裁著)

*以上は「こぐまびより」さんのブログより引用させて頂きました。

 

こうして他の国からの評価を受けて、自国の良さを知ることは確かに嬉しく思いますし、ありがたいことだと思います。

 

そして思うのですが、上記のような価値観を良いものだと世界から評価を受けていることから、我々が普段美徳としていることは、世界においても美徳、つまり普遍性のあるものだとは言えないでしょうか。

 

もちろん、全ての国から良い印象をもたれているわけではないこと、それは事実です。いまだに近隣諸国と困難な外交問題を抱えていることを鑑みれば、手放しで喜んでいいものではないと思います。

 

ただ、ここからは私の個人的な意見なのですが、日本において歴史上一貫しているといいますか、通底している普遍的な概念というものがあると思います。

 

それを私は、現段階においてうまく一言で表現できないというもどかしい状態であることを吐露するものです。

 

ただ、その概念が「日本(人)の良さ」を表すものであり、それは世界においても良いものとして受け入れられていくものではないかという確信めいたものはあります。

 

それを一個人として、日々の仕事、すなわち私にとっては「珈琲」の世界で表現できればいいな、なんて、大それたことではけっしてなく、地道にコツコツやっていければと、そんなことを思っています。

 

店主

先日のこと当店にて粋な催しがございました。

漆器作家の土井宏友さんによる茶箱ならぬ「珈琲箱」のお披露目会です。

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珈琲箱は土井さんご自身が木地作りから行い、漆をかけた道具や器を塗りの箱に収めたものです。

今回はこの珈琲箱をご注文された方へ、納品と道具の使用方法を説明するための機会を兼ねまして、当店にてお茶会ならぬ、珈琲会が催されたわけです。他にも遊び心豊かな粋狂な面々が集いました。

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土井さんご本人が抽出方法を説明されています。

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用意された珈琲豆は「コピルアック」。なかなかお目にかかれない貴重な豆です。

出された珈琲は、漆の香りがほのかに。

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まろやかなる、美味。

とても、とても、愉しいひとときでした。

*当珈琲箱についてのお問い合わせは、京都市南禅寺前「うつわや あ花音」さんへ

店主

自家焙煎の理由

喫茶葦島の珈琲は当店で焙煎しています。

 

自家焙煎を選んだ理由はいたってシンプルで、生豆は農産物ですから、それぞれの生豆の状態に合わせて焙煎するのがよかろうと思いますし、その焙煎度合いを自分できちんと責任をもってコントロールしようと考えているからです。

 

最終的にお客様のお口に合うか否か、その責任をきちんと果たしていきたいという想いです。

 

また、お客様のニーズに応えるためには、できる限り手作りに近い焙煎を可能とする焙煎機が必要と考えました。

当店の焙煎機は決して大型ではありませんが、シンプルな構造をしていて、どちらかと言えばアナログな焙煎機です。

 

このアナログな焙煎機で毎日、毎朝決まった時間に、丁寧に焙煎をしています。

 

アナログな自家焙煎ならではの味をご堪能頂ければと思います。

 

店主