3月の雪

一昨日、京都は雪が降りましたね。

この年度末の時期に雪ですか。

過去にも3月の雪を見たことはあります。

思い出すのは会社員時代にある後輩が突然会社を辞めると言い、3月末で退職していった彼を見送るときに、やはり3月の雪が舞っていたことです。

多くの期待を背負い、将来を嘱望されていた男。

自分の夢を追うために約束されたコースをあえて捨て去り、いばらの道を選んだのはなぜだったのか?

退職すると決めた人間というものは、得てしてその後気が緩み、手抜きをしがちなものです。

しかし、彼はそのようなことはなく、最後の最後まできっちりと仕事を仕上げ、引継ぎのための資料も完璧に作り、あとをにごすことなく、颯爽と去っていきました。

信頼できる人間とはこういうものなのか。仕事のできる人間とはこうなのかと感服した記憶があります。

その彼を、季節はずれの雪が、祝福するかのように、名残惜しむかのように、真っ白に覆いました。

また、あいつと一緒に仕事がしたい。

そんな風に思える男でした。

今、どこで何をしているのか。

3月の雪を見ると思い出します。

店主

 

不屈

阪神大震災の当日、私は、西宮にあるその当時勤めていた企業の社宅にいた。

 

激震地で経験した震災。

 

今日、とうとう自分は死んでしまうのかと本気で思った。

 

その当時の記憶を思い起こしながら、悲惨な経験の詳細を書き始めたが、途中で止めた。

 

人生には様々な理不尽があり、人間一人、自分一人ではどうしようもできない事がある。

 

生と死が隣り合わせにあることを、まざまざと見せつけられた先の震災。

 

皆で必死に支えあい、分かち合いながら、復興へひた走った。

 

そんな中、私の心にあったものは、「不屈」の二文字だった。

 

祖父母に聞いた先の大戦の惨禍が、何度もフラッシュバックし、その度に、60数年前の日本人が不屈の精神で祖国の復興にひた走ったことを思い、奮い立たせた。

 

いざとなれば、自分のことよりも、他者のことを想い、心を一つにしてきたのが我々だったではないか。

 

もはや、どんなに飾った言葉も、偽善も、無意味なのだ。

 

日本は決して屈することはしないし、滅びもしない。

 

店主